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『ラッセル 幸福論』を読んで実践したいくつかのこと(投票企画 その2)

アンケート結果:次のブログ記事

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アンケート結果

 秘密裏に行われたアンケートではこのような結果になったので、今回は「ラッセル 幸福論」の話をします。

 以下、岩波文庫の「ラッセル 幸福論(安藤貞雄訳)」を手に持ってから読んでください。持ってない人は買ってきてください。やっていきます。( )内のページ番号は引用元のページです。

 まだ読んでいない人は、とりあえず「はしがき」(5ページ)と第一章の「不幸の心理的な原因は〜」(22ページ)から第一章の終わり(24ページ)までの段落に目を通してください。この本の方向性が書かれています。

 この本の中からいくつかの章とその中のトピックをまとめ、それに関して自分が実践したことを書きます。

 

第4章 退屈と興奮

 人生の退屈な時間をどう過ごすかというのは人類の昔からの悩みであり、人類は退屈から逃れるすべとして興奮を追い求めた。そして人々は毎日を興奮のうちに過ごそうと画策しているのだが、興奮は麻薬と同じであり、「前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる」のである(66ページ)。

 しかしながら、退屈は幸福な人生の敵というわけではない。退屈、言い換えれば「平穏」は人生の良き友で、必要不可欠だ。結局のところ、退屈とどう付き合うかということが重要なのだ。

 ラッセルは退屈を2つに分類している。ひとつは「実を結ばせる退屈」であり、もうひとつは「人を無気力にする退屈」である(67ページ)。真に避けなければいけない退屈は後者であり、これは強い興奮のあとに感じる興奮への渇望からもたらされるものだ。

 ラッセルは「偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた。」と記している(68ページ)。平穏な時間、ラッセルの言う「実を結ばせる退屈」というのは幸福に欠かせない要素であり、平穏な時間を──言い方は悪いが──「耐える」力を持つことで、人生における大きな目標へ進む力をつけることができるのである。

 現代の人々はかなり裕福になり、自分のしたいことをだいたいできるようになっているので、この章の最後に書かれている「自分のライフスタイルを選べるくらい富裕な人たち」にだいたい当てはまると思う。「実りある退屈から逃げることで、もう一つの、もっと悪い種類の退屈のえじきになる」のである(74ページ)。

実践したこと

ツイッターをアンインストールし、見るのをやめた。

・暇な時間にできるだけスマホをポケットから出さないようにした。

 暇だなあと思ったときに目的もなくネットサーフィンをするのは最悪手である。スマホを見るのをやめ、他の建設的なことをすべきだ…と頭ではわかっていたものの、なかなかやめられなかった。幸福論を読んでから、これらをすっぱりやめようと決意した。

 かわりになにを始めたかというと、「考える」ことである。次に書くブログの記事について考える。次に描く絵のモチーフについて考える。カーテンの模様を気にしてみる。「雲を眺めてだいたいの時速計算してみたり」、「人を眺めてこれまでの人生想像してみたり」、「デート中のカップルはみんな視界の中から消してみたり」(これはPerfumeの「コミュニケーション」の歌詞だけど、やってみると割と楽しかった。おすすめです)。…これが実りあるかどうかはさておき、ネットサーフィンよりはましだろう。

 

第5章 疲れ

 この章で触れられているのは肉体的な疲れではなく、精神的な疲れについてである。ラッセルは、精神的な疲れは心配(悩み)から来ていると分析している。そして、「心配は、よりよい人生観を持ち、精神的な訓練をもう少しやることで避けることができる」(78ページ)と書いている。

 こう聞くと、心配を避けるにはなにか特別なやりかたが必要であるように思ってしまうが、やることは単純で、「ある事柄を四六時中、不十分に考えるのでなくて、考えるべきときに十分に考える」(79ページ)というだけである。つまり、仕事や何やかやの心配事を布団の中にまで持ち込まず、夜はしっかり寝ろということだ。

 ラッセルは「心配は、恐怖の一つの形であり、あらゆる形の恐怖は疲れを生じさせる」(85ページ)とも述べている。恐怖というのはやっかいで、目をそむければそむけるほど増大していく。「考えをよそへ向けようと努力すれば、目をそむけようとしている幽霊が一段とこわいものに見えてくる」のだ(85ページ)。

 これを解決する方法はただひとつ、目をそむけずに恐怖(悩み)と対決することのみだ。実際のところ普通の人間の悩みというものは大方の場合本人が考えているほど重大なものではない。さっさと悩みに決着をつけようとすることで、悩みの「病的な魅力も徐々に失われていく」のである(86ページ)。

実践したこと

・やることをさっさとやるようにする

 悩みからの逃避と同じく、やることを先延ばしにするとすぐにやるよりも倍のエネルギーと時間を消耗する。これはいわゆるエメットの法則であるが、とにかくやりたくない仕事でもうだうだとやらない理由を探すのをやめ、さっさと対決して討伐してしまうに限るのだ。

 

第6章 ねたみ

 「総じて、普通の人間性の特徴の中で、ねたみが最も不幸なものである」(93ページ)とラッセルは言う。誰しもねたみの感情を持っているものだし、時にそれは嫉妬やあこがれ、羨みの形であらわれてくる。ねたみ深い人は「自分の持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出している」のである(93ページ)。

 ねたみは楽しい出来事から楽しさを奪っていく。つまり、他の人が自分よりも幸福だと思いこむことによって自分の幸福が相対的に減ったように感じるのである。ねたみ深い人は楽しい出来事にあっても比較をし、他の人を羨む。そうしているうちに「陽はかげり、鳥の歌は無意味なさえずりになり、花は一刻も見るに値しないように思われてくる」(96ページ)。比較対象が隣の人だろうがビルゲイツだろうがナポレオンだろうが等しく無益で無意味である。

 ねたみの呪縛から逃れる方法を考える。ラッセルは「成功によるだけでねたみから逃れることはできない」と述べている(97ページ)。いくら人生で成功しても、世の中にはもっと成功した人がいるからである。ねたみの呪縛から逃れるには、他人と自分を比較するのをやめるしかない。そして、ねたむかわりに賛美するほかないのだ。

 「ねたみは、もちろん、競争と密接な関係がある」ともラッセルは書いている(99ページ)。ねたみや羨みは競争の原動力になるし、ときにあこがれは競争の目標にもなる。この力によって、我々は進化してきたのだし、これからも進化していくのだろう。このねたみの別の側面を、ラッセルは「よりよい休息の場所へ、あるいはただ死と破滅へと、暗い夜道をやみくもに歩いていく人間の苦しみである」と表現している(104ページ)。しかしながらこれは人類という種族全体についての話であり、個人としての競争の源をねたみに求めることはやめたほうがよい。

実践したこと

・他人をうらやまない

 他人は他人、自分は自分である。自分より成功した人がいるとして、その人はその人で努力したりしたのだろうし、羨んだところでその人の成功が手に入るわけではない。

・成功した人を見ない

 うらやまない、と言うのは簡単だが実行するのは難しい。そこで成功した人のことは見ないようにして、自分の世界から追放してしまうのが手っ取り早い(ねたみを持たずに、成功者の成功の秘訣について分析できる力があるなら話は別)。何度も言うが、他人は他人、自分は自分である。

 

おわりに

 上に挙げたのはほんの一部であり、この本にはこれ以外にもたくさんの幸福のかけらが散りばめられているし、ほかに実践していることもいくつかある(ここでは紹介しないけど)。この本が書かれたのは1930年のイギリスで、現代日本とは少し価値観や考え方が違う部分もある。だからこの本に書いてあることを全部実行しろなどと言う気はありません。各人がこの本を読んで、自分の幸福のための手がかりを見つけて、幸福になってほしいという一心で、この記事を書きました。

 以上です。